サイクルサッカー

サイクルサッカーとは

概要

サイクルサッカー車

サイクルサッカーは、英語ではサイクルボール、ドイツ語ではラドバルと呼ばれ、1チーム2人制の屋内競技と5人制の屋外競技があり、日本で主に行われているのは、2人制の屋内競技です。 この競技に使用される自転車は、ブレーキが無く、固定ギアなので、後ろにこげばバックもできます。ハンドルは鹿の角を思わせますが、360度回転し、素早いターンや鋭いシュートを打てるように設計されています。 ルールはサッカーとほぼ同じですが、競技時間は7分ハーフの合計14分です。コートの広さは長さ14m幅11mで、周りを高さ30cmほどのフェンスで囲んでいます。ボールは直径17~18cm、重さ500~600gの布製で中にパンヤ等を詰めて、あまり弾まないようにできています。

ルール

試合時間

前半7分→休憩2分→後半7分で行われます。

試合方法

主審のコイントス、または、ジャンケン等で先攻チームを決め、センターマーク上に置かれたボールを、主審の合図(ホィッスル)で先攻側の1人がボールをキックしてプレーが始まります。手はハンドル、足はペダルから離してプレーしてはいけません。但し、自陣のペナルティーエリア内に前後輪とも入っているときは、キーパーとして自由に手が使え、パンチングやキャッチもできます(但し、2人同時に入ると反則となります)。また、転倒または足がペダルから離れて床に着くと、落車と見なされ、プレーを続けると反則となります。その他のルールは普通のサッカーとほぼ同じです。

競技資格の回復

落車した選手は、自陣のエンドラインまで後退し、ライン外の床へ車輪を出すことで再びプレーに戻ることができます。

反則行為

相手の体や自転車を押す、押さえる、危険な行為、大声を出す、などが反則となります。

フリーキック

ペナルティーエリア外での反則に対して相手側に与えられます。その場合、反則をとられたチームの競技者は、ボールから4m以上離れていなければなりません。

ペナルティキック

次のような重大な反則に対して課せられ、反則を受けたチームがペナルティマークに置かれたボールをシュートし直接ゴールを狙うキック(フォーメーターキックとも言います)。
  1. 自陣のペナルティーエリア内で反則を行ったとき。
  2. 自陣のペナルティーエリア外でも重大な反則を起こしたとき

    重大な反則の例

    • 落車した状態で、相手のプレーを妨害する
    • ペナルティエリア外で手でボール制する
    • 自転車を投げつけるなどの危険な行為

コーナーキック

普通のサッカーとほぼ同様に行われますが、コートがフェンスで囲まれているためボールを置く位置が若干異なります。

歴史

歴史

1891年頃イギリスに於いてサイクル・ポロが考案され、競技として発展しました。 1918年頃ドイツ、フランスでフットボール(サッカー)用のボールを使用しての芝生サイクルサッカー競技へと発展しました。 そして、より機敏な自転車操舵ができ、しかも天候に左右されない現在の屋内サイクルサッカーへと発展してきました。 1927年に第1回ヨーロッパ選手権大会がドイツのケルンで開催され、 1930年には、国際自転車競技連合(UCI)の公式競技となりました。 同年第1回世界室内自転車競技選手権大会がドイツのライプチヒに於いて開催され、 第2次世界大戦による中断を経て、1949年から再び世界選手権大会が開催されるようになり、現在に至っています。

日本での取り組み

日本での取り組み

日本での発足

1957年、日本学生自転車競技連盟の林譲四郎氏(当時副会長)等によって初めての国内普及が学連内で図られました。 1967年、海老沢清氏と野本誠一郎氏が中心となってサイクルサッカー開発研究委員会を日本自転車競技連盟内に正式に発足。 競技様式が日本でも馴染みのあるサッカーに似ている事から、「サイクルサッカー」という日本独自の競技名を命名。 サイクルサッカーの組織が固められました。 普及に際し、日本競輪学校、日本学生自転車競技連盟、南関東自転車競技会の各団体に技術指導の役割を要請し、 1968年に初の一般選手と学生選手の為の合同練習会を実施。その成果は1969年、東西8大学の参加による日本初の全日本大学サイクルサッカー選手権大会として実を結びました。

世界選手権への参戦

1972年には初めて世界選手権大会へ選手を派遣。Bグループ第3位の成績を残しました。 その後は毎年世界選手権大会へ選手団を派遣し、Bグループで優勝するまでに実力を向上しました。 しかし、上位グループのAグループの壁は高く、Aグループに昇格するも、すぐにBグループへの降格を余儀なくされました。 以降、昇格/降格を繰り返すもAグループ定着には至らず、グループ入れ替え戦制度が導入されて以降はAグループ昇格がより困難になりました。 しかし、2007年大会でグループ入れ替え戦が設置されてからは初となるAグループ昇格を果たし、 続く2008年大会ではAグループ6ヶ国中で、日本史上初の第5位の成績を納め、Aグループ残留を果たし、 名実ともに日本のレベルの向上を証明しました。

日本での国際試合を開催

日本国内での国際大会は、連盟発足時からの合言葉「日本で世界選手権を!」が実を結び、 鹿児島県加世田市の協力で「2001年世界室内自転車競技選手権大会」が開催されました。 翌2002年には千葉県沼南町で「第5回アジア選手権大会」と、 第1回サイクルサッカーワールドカップ大会の予選ラウンド「ワールドカップアジアステージ」を併催。 その後もワールドカップアジアステージは日本で数年毎に行われております。 現在の競技人口は全国で約500名程、これからも競技レベル向上のため、、 国内での国際大会開催や、選手を増やすための普及活動に力を入れてまいります。